保子とリンゴ

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亡き父から受け継いだリンゴ園

スタジオBIGIのオーナー保子さんは、亡き父の十郎さんから引き継いだリンゴ園(約1ヘクタール)で「ふじ」を栽培・管理していました。採算が取れず、何度も栽培をやめようとも考えましたが、お父さんが苦労して切り開いた園地を手放したくない一心で、続けてきました。

そして、収穫されたリンゴは、イジメ問題に苦しんだ学校や、災害の被災地の子どもたちへ送られました。ゼロから始まり、何度も挫折を味わった自分のリンゴ栽培の苦労を重ねて、「どんなことがあってもくじけることなく夢と希望を持ってね」とのメッセージを添えて、リンゴたちは届けられました。

そして、3.11の東日本大震災。それは偶然とともに美容院も移転となりました。今後はリンゴでの支援ではなく、美容院で頑張るという気持ちで、十郎リンゴを終わらせることといたします。

リンゴからのメッセージ

リンゴからのメッセージ

皆様コンニチワ、私の名前は十郎リンゴと申します。
私達は秋田県の綺麗な水と大自然に囲まれ、十郎さんとケイ子さんに育てられました。十郎さんはランプ生活の中、クワ一本で山々を開墾し、貧しいながら娘三人を育ててこられました。しかし、10年ほど前に、収穫を目前にして十郎さんは他界してしまいました。

この時、私達リンゴの木が切られそうになりましたが、お嫁に行った三女の保子さんが十郎さんの跡を継いでくれることになりました。保子さんは慣れない手つきで本を読んだり人に聞いたりして必死に私達の世話をしてくれました。しかし努力とはうらはらに、台風でリンゴが落ちたり、大雪で木が折れたり病気がついたり、それはそれは大変なものでした。

十郎リンゴの歴史

平成7年 十郎さん他界。7月から保子さんリンゴスタート!
平成9年 大雪で枝が折れる。
平成10年 ウサギに芽を食べられる。出荷前に雪が降る。
平成11年 クマ出没、山のあっちこっちにクマのウンチ。
(リンゴが美味しかったのでしょう)
平成12年 大雪で木が折れる。そして、シカに芽を食べられる。
平成13年 リンゴの花が満開の時、十郎さんの妻ケイ子さんが他界。
平成14年 リンゴ市場最悪の出荷前の大雪、雪で一夜にしてすべてが埋め尽くされる。
この時5本の木が根っこから倒れる。(もうやめようと思った)
平成15年 十郎リンゴが 日本からインドに初めて行く。
平成16年 『ボランティア』 新潟に行く。3度の台風にも落ちなかったリンゴが、すべて新潟に手紙付きで送られる。
平成19年 『ボランティア』 全国のイジメ問題で苦しんだ学校へリンゴが発送される。
平成20年 『ボランティア』 中国・四川大地震の被災した子どもたちへリンゴが発送される。
ブログで紹介されました!
平成21年 『ボランティア』 東京立川社会福祉協議会、立川市の高齢者施設などへリンゴが発送される。
平成22年 『ボランティア』 宮崎県口蹄疫のすべての被害農家へリンゴが発送される。
平成23年 東日本大震災の年に美容室を横手インターのすぐ近くに移転しました。
これを機に亡き父のリンゴ山とお別れしました。私は皆んなの反対を押し切り、二足の草鞋を16年間履き続けました。
想像よりとても難儀だったしお金もかかったし身体も壊しましたが、私の人生の最高の思い出を作ることが出来ました。
ボランティアに協力してくれた仲間達に心から感謝して、これから真面目に美容室に力を注ぎます。
私のリンゴを手にしてくれた全国、世界中の人達が幸せになりますよう、、、

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